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15,800人以上の犠牲者を出した東日本大震災から、もうすぐ5年が経とうとしています。
そんな中、被災各地で幽霊が出るという噂をだいぶ前から聞くようになりました。
それは単なる「不謹慎」の一言で済ましてしまえるものなのか。
幽霊と目撃者、そして残された人々について考えてみました。
Contents
東北学院大・社会学のゼミ生、震災霊についての卒論
幽霊の目撃は震災直後から起きていたようですが、不謹慎と言うこともありタブーとされていました。
そのため一部の学者が述べる程度で、メディア等で取り上げられることは決してありませんでした。
しかし2013年にNHKの「亡き人との“再会”~被災地 三度目の夏に~」をきっかけに震災幽霊が注目され、公に出てくるようになったのです。
そして今年、東北学院大学・社会学のゼミ生が「震災による死」をテーマに、卒論で震災霊についての分析を行ったと1月20日の朝日新聞が報じました。
学生は宮城県石巻市のタクシー運転手を対象にフィールドワーク行い、多くの人は取り合わなかったものの、以下のような目撃霊を得ました。
50代の運転手
震災後の初夏。季節外れのコート姿の女性が、石巻駅近くで乗り込み「南浜まで」と告げた。「あそこはほとんど更地ですが構いませんか」と尋ねると、「私は死んだのですか」と震える声で答えた。驚いて後部座席に目を向けると、誰も座っていなかった。
40代の運転手
8月なのに厚手のコートを着た、20代の男性客だった。バックミラーを見ると、まっすぐ前を指さしている。繰り返し行き先を聞くと「日和山」とひと言。到着した時には、もう姿はなかった。
(引用:http://www.asahi.com/articles/ASHDY737QHDYUNHB00B.html)
こうした取材体験をもとに『呼び覚まされる霊性の震災学── 3・11生と死のはざまで』が金菱清教授ゼミナールによって執筆されました。
発売は1月末となります。
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震災霊の目撃例
同様の目撃例が、各地でささやかれています。
・子どもが行方不明になった石巻の家庭。
1週間経った夜、玄関先が明るくなり不思議に思っているとそれから間もなくして、「遺体が見つかった」と消防団が訪ねてきた。
先に子どもが報告に来たのではないか。
・船を係留しに港へ出てそれっきりになってしまったおじいさん。
遺体は見つかっていないが、明け方、漁に出る時間になると家の電話が鳴る。
それをおじいさんからの合図と受取り、妻のおばあさんはお弁当を作り続けている。
・多くの犠牲者を出した石巻にある日和大橋では亡くなった人の霊が彷徨っており、橋を通る車が蛇行運転をしてしまう。
人を轢いてしまったと車外に出ても誰も居ない。
あまりの目撃例の多さに、一時夜間は通行禁止となった。
その他にも瓦礫の中の車を除く女の人や、海の上を歩く人。
仮設住宅で夏場に聞こえる「寒い」の声、家族の枕元に立つ「見つけて欲しい」と嘆く行方不明の人。
そこかしこで多数の幽霊が霊感が強い人にだけでは無く色々な人に目撃されています。
幽霊の目撃例が多く、修復を止めてしまったスーパーマーケットもある程です。
幽霊の正体と、残された人々
これだけ多くの犠牲者が出ているわけですから、幽霊の目撃談が相次いでも不思議な話ではありません。
しかし幽霊はオカルトの類ですので、実在するかしないかについては賛否が分かれますし、今回は触れません。
幽霊を見たという人が確かにいるという事実を受け止め、そこから私の意見を述べていきたいと思いますが、私自身は幽霊というものについては肯定的な意見を持っています。
幽霊の正体とは?
ネット内では霊が見える現象は「幽霊は心が日常を取り戻す修復過程の副作用」「記憶が浄化される過程でよくみられる現象」と言われています。
幽霊そのものが、人の心によって生み出されたものであるという考えです。
大勢の人が亡くなったという曰くつきの場所を訪れると、私たちは多少なりとも身構えてしまいます。
もしかしたらその気持ちが見せてしまったのが、瓦礫だらけの場所を彷徨う幽霊なのかもしれません。
また、想像もしていなかった大切な人の異常の死は、到底簡単に受け入れられるものではありません。
昨日までは当たり前に笑い合っていた友達や恋人が、朝いつも通りに送り出した家族が、突然いなくなってしまう。
それも誰を責めて良いのか分からない震災によって。
そんな「死を受け入れられない人々の心」が、自らのために幽霊を見せている――幽霊に救いを求めているという考え方も出来ます。
実際に目撃した人は……?
実際に身内の幽霊に会ったという方は大勢いますが、その多くは霊を怖がってはいません。
逆に
・亡くなった母のにこやかな表情を見て、怒りが薄らいでいった。
・震災後、自暴自棄になっていた女性は夫の霊に会い見守られているような気持ちになり思い直した。
という方も居て、大切な人の霊に出会ったとき、そこには恐怖よりも感動といった感情が先立つのかもしれません。
震災霊ではありませんが私の母は子どもの頃、父を亡くした直後に夜枕元に立つ父の霊を見たそうです。
小学生と中学生の子どもを残して逝く祖父の無念と心配は、いかばかりだったでしょうか。
「もう大丈夫だから」と言うと消えていき、二度と現れることはなかったそうです。
幽霊でもいいからもう一度大切な人に会いたい、そんな思いが幽霊を見せているのなら、現れた霊は残された人々の生きていく糧になるのだと思います。
オカルト染みた話でも救われた人が確かにいるのなら、それを「不謹慎」の一言で済ませてしまって良いのでしょうか。
震災から5度目の3月11日を前に、再び考えさせられます。