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あまり売れなかったけれども高い評価を得た曲。
杏真理子さんのデビュー曲『さだめのように川は流れる』もそんな歌の一つです。
美人ハーフ歌手として知られた杏真理子さんは、不幸な死に遭遇し享年25歳という若さでこの世を去りました。
サンフランシスコ事件と呼ばれるその裏にあった動機や犯人について調べてみました。
6月24日放送「爆報!THE フライデー」の「爆報ミステリー実録!名前の出せない芸能事件簿第10弾」で、杏真理子さんが紹介されます。
没後40年ということで、私も彼女については存じ上げませんでした。
というわけで今回はハーフ美人歌手の悲しき最期について迫ります。
Contents
杏真理子プロフィール
名前:杏真理子(きょうまりこ)
本名:佐藤真理子(さとう)
生年月日:1949年1月15日
没年:1974年4月8日(満25歳)
出身:青森県三沢市
身長:160cm
学校:青森県三沢市立理美容高等学校中退
アメリカ人の父親と日本人の母親のもとに生まれたハーフの杏真理子さん。
生まれ育った三沢市は米軍の三沢基地があることから、ハーフが多いそうです。
杏真理子さんの父親も米軍関係の人間だったのかもしれません。
札幌のクラブでスカウトされたことをきっかけに1971年『さだめのように川は流れる』でデビューします。
阿久悠さんが手がけた自信作だったとのことです。
一部では高い評価を得られたものの、残念ながら世間からはあまり求められる曲ではなかったのでしょうか。
同時期に出た小柳ルミ子さんの「私の城下町」に埋もれ、以降杏真理子さんは鳴かず飛ばずの状態で歌手活動をつづけました。
1973年には活動を一時休止し、音楽の勉強をするために渡米。
しかし翌年の4月、サンフランシスコのアパートで元恋人の男性に殺害され、その短い生涯に幕を下ろしたのでした。
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サンフランシスコ事件・犯人や動機は?
1974年4月。
渡米をしてウエイトレスの仕事をしながら音楽の勉強に励んでいた杏真理子さんは、8日に行方不明になり9日、アパートでトランクに詰められた状態で発見されました。
夢を見て渡米したのに悲しい結果となり、両親はやりきれない想いだったことと思います。
しかし渡米したことで起きた事件というのではなく、犯人の男性は以前より知り合いであった元恋人だったのです。
「タネヨシミギタ」(英名ジョセフ)という元恋人であった男性は、母親が白人女性で父親が日本人の大学教授という杏真理子さんと同じハーフでした。
アメリカで生まれのちに日本で育ち、真理子さんが生まれ育った三沢市で二人は出会いました。
タネヨシミギタ(ジョセフ)はいくつもの犯罪歴があり、借金も抱え、芸能界入りをした杏真理子さんにたびたびお金を借りに行っていました。
ハーフではあるものの英語が苦手であったタネヨシミギタですが、サンフランシスコに在住していたということは真理子さんを追って渡米したものと思われます。
しかし元恋人ということで、この時には縁が切れていたのではないかと思います。
また動機は恋愛トラブルではなく金銭トラブルでした。
頻繁に真理子さんにお金を借りていたタネヨシミギタは、ついに真理子さんに借金の返済を迫られ、それに腹を立てて犯行に及んだとのことです。
身勝手かつ残忍な犯行であり、ただただ杏真理子さんが不憫でなりません。
そのままアメリカで音楽の修業を重ねていれば、どのような歌手に成長していたのでしょうか。
もしかしたら今でも頻繁にお茶の間で見掛ける様な歌手の一人になっていたのかもしれません。
杏真理子さんは結婚・離婚をし子供(息子)がいるという情報もあります。
しかし芸能界を引退してから亡くなるまでに1年しかないことから、もし出産をされていたとしたらそれは芸能界デビューの前ということになります。
ヒットもなく芸能界から消えてしまった歌手だけに、情報はあまり多くありません。
「爆報!THE フライデー」ではどのように紹介されるのでしょうか。