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(画像出典:http://www.smash-net.tv/player/details/id/296/)
今年からトナミ運輸に所属となったバドミントンの仁平菜月選手が5月27日~31日に行われた2017年日本ランキングサーキット大会でシングルス優勝を果たしました。
個人的に好きな選手ですので、東京五輪での活躍することを期待しています。
そんな仁平選手は富岡高校の出身。
富岡高校は2016年、岡山インターハイでとてもドラマチックな優勝を果たしています。
仁平選手の成績と共に、富岡高校の夏をご紹介したいと思います。
Contents
仁平菜月プロフィール
名前:仁平菜月(にだいらなつき)
生年月日:1998年7月12日
出身:茨城水戸市
小学校・中学・高校:浜田小学校→富岡第一中学校→富岡高校
身長:161cm
利き手:右
所属:トナミ運輸
5歳の時にバドミントンを始めた仁平菜月さん。
茨城県石岡市にある恋南バドミントン少年団というジュニアで練習を積んできました。
彼女については両親や兄弟の話を聞かないので、恐らく両親は競技経験者ではないか、やっていたとしても部活でやっていたくらいの方なのではないでしょうか。
小学生の頃に4年生から参加出来る「全国小学生バドミントン選手権大会」で3連覇を果たし、2009年にはジュニアナショナルチームに選抜されました。
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仁平菜月・中学時代の成績
中学校は全国から多くの選手が集まる強豪中学・福島県富岡町立富岡第一中学校へ入学をしました。
この入学直前に東日本大震災が起きています。
仁平さんが通うことになった富岡第一中学校は、福島第一原発による避難区域に指定されてしまいました。
仁平さんは両親から他県への中学へ行くことを反対され、それを押し切っての入学であったそうです。
12歳の女の子が他県の高校へ通うことだけでも親として見れば心配ですが、震災直後ということもあり余計心配だったのではないでしょうか。
現在でも富岡第一の中学生は避難先である猪苗代(いなわしろ)で学校生活を送っています。
仁平菜月さんも同様に猪苗代での中学生活となりました。
富岡第一中学と猪苗代中学、合同練習をする日々。
厳しい環境でも生徒達は力をつけていきます。
そうして2013年、仁平さんが猪苗代中学主将として出場した全国中学バドミントン大会では見事団体3連覇、個人優勝の二冠を手にしました。
彼女が通っていた2011年~2013年、男女共に猪苗代は3連覇を果たしており、男女が共に三連覇を果たした中学は史上初。
本当にすごい功績です。
余談ではありますが、仁平さんが中学1年の時の先輩に、後に富岡高校での先輩にもなる大堀彩選手や東野有紗選手がいました。
中学三年の時にはアジアユースU17に参加し、韓国のキム・ガユン選手を2ー0で破り金メダル。
全日本総合の予選も勝ち抜き、本選へ出場しました。
仁平菜月と富岡高校最後の夏
高校は同県内の福島県立富岡高等学校へ進学しています。
上記でもあるように富岡は大堀選手や東野選手の他に、桃田賢斗選手の出身校でもあります。
富岡高校は公立でありながらバドミントン、サッカーなどで全国大会へ出場しているのは、2006年に設置学科の改編を行い、普通科を廃止してスポーツ科を設置しているためです。
中高一貫のプログラムを組み、設備投資も含め学校側がスポーツにかなり力を入れている学校なのです。
しかしながら福島第一原発の影響により生徒たちは福島北高等学校などのサテライト校へ通うこととなりました。
それでも富岡の強さは衰えることなく、2012年に女子がIH優勝、翌年は男子が優勝。
2014年には史上初、インターハイでの男女優勝を飾りました。
仁平さんが1年生の時です。
そうして翌年、福島県立ふたば未来学園高等学校が開校し、富岡高校は「富岡ふたば未来学園」に名前を変えました。
ふたば未来学園は、原発による避難を余儀なくされた生徒達の教育のために設立された学校です。
「前例なき環境には前例なき教育を」との想いで設立されたふたば未来学園は各界の有名人が関わっているほかに、トップアスリート系列の運動部は授業と連動するなどの教育方針になっているのです。
もちろんバドミントンはトップアスリート系列の運動部になっています。
2015年ふたば未来学園の開校に伴い、富岡高校の募集が停止となりました。
そのため2016年、富岡ふたば未来学園のバドミントン部は「富岡高校」と書かれたユニフォームを来た3年生と「ふたば未来学園」と書かれたユニフォームを来た1、2年生が混じる不思議な現象が起きたのです。
2017年の3月、仁平菜月さんを始めとした3年生を送り出した富岡高校は休校となりました。
今後富岡高校は「ふたば未来学園」の名前になり、富岡の名前が消えます。
つまり2016年の夏の大会が「富岡高校」にとっての最後の大きな大会だったのです。
『最後の富岡生として“富岡”の名を歴史に刻みたい』
仁平菜月さんはその一心だったそうです。
そうして迎えた2016年の岡山インターハイ、富岡ふたば未来高校は決勝まで残りました。
第一ダブルスは0-2で敗れたものの、吾妻咲弥さんと由良なぎささんのダブルスで1勝。
髙橋明日香さんのシングルで1勝。
最後第二シングルで優勝を決めたのは、富岡の名をユニフォームに刻んだ主将・仁平さん。
生で試合を観たわけではありませんが、感動もひとしおです。
また、シングルスでも仁平さんは後輩である髙橋明日香さんを決勝で破り優勝を果たしました。
2年生の頃には怪我でスランプに陥り、練習も難しくなることがあったそうです。
そのため小学校・中学校と華々しいタイトルを手にしてきた仁平菜月さんですが、高校では最後の最後でようやく手にすることの出来た優勝となりました。
これには毎日の厳しい練習の他に、監督による徹底した単複の分担が功を成したとのことです。
バドミントン団体戦は2人までシングルスとダブルスを兼任することが出来ます。
当然選手にとっては負担になりますから、富岡高校はこれを完全分担制にしました。
もちろん選手層が厚い富岡高校だからこそ出来た単複分業です。
そうしてなにより、チームメイトの協力があったからです。
チームが一丸となって戦った2016年インターハイ。
富岡は女子の団体優勝とシングルス優勝、男子も山澤直貴さんがシングルス優勝。
確実に“富岡”の名前を歴史に刻むことが出来たのです。
仁平菜月の現在
高校卒業後、仁平さんはトナミ運輸に籍を置くこととなりました。
当面の目標は世界ジュニアでの金メダルと、そしてオリンピックを見据えナショナルA代表チームに入ることだと言います。
先日行われた日本ランキングサーキット大会では優勝を果たしました。
この調子で山口茜選手や奥原希望選手に続く選手になることを願ってます。